偉人 土居甫 名言集|心の常備薬

土居甫
1936年10月8日 – 2007年9月14日
日本の振付師
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愛媛県出身。
1955年、作家の獅子文六を頼って上京し書生をした後、東京芸能学校(一期生)に入学。
1957年に東宝演劇部所属となり、東宝ミュージカル・東宝歌舞伎・日劇ダンシングチーム・日劇ミュージックホール・新宿コマ劇場などに出演。
1961年から1969年まで日本テレビ『シャボン玉ホリデー』にレギュラー出演し、ザ・タイガース、ザ・ピーナッツなどの振付を担当。
1971年から『スター誕生!』で、桜田淳子、ピンク・レディーなどの振付を担当。
また『笑っていいとも!』(フジテレビ系列)のいいとも青年隊の振付を1982年10月の番組開始時から担当していた。
タモリが司会を努めていた『今夜は最高!』(日本テレビ系列)の振り付けも担当していた。
パーキンソン病を発症した後も、闘病しながら振付師としての活動を続けていたが、2007年9月14日に悪性リンパ腫で死去。
著書:「俺とピンク・レディー 振付け・土居甫の世界」「山の向こうはなんだろう」
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No.001


ぼくとピンク・レディーの出逢いは、みなさんが考えるほど、ドラマ・チックなもの ではありませんでした。
日本テレビの番組「スター誕生」(第十六回決勝大会)に、彼女たちが出場したのですが、ぼくは〈おやッ、ワイルドな感じのする女の子たちだな〉といったぐらいの印象しかありませんでした。
この「スター誕生」という番組からは、あの山口百恵ちゃんや、桜田淳子ちゃん、森昌子ちゃんたちが最優秀賞に輝き、プロ歌手の道を進んだ新人歌手の登竜門なのです。
そのころ、ミーは根本美鶴代、ケイは増田啓子という本名で出場、彼女たちはお揃いのサロペットで、フォークソングを歌ったのです。
それは、昭和51年2月のことで、ふたりの歌は素朴だったことを覚えています。
ミーの声は細く、高く、ケイの方は低くて太いものでした。
それに音色も違っていましたし、彼女たち程度の歌唱力、フィーリングをもった子はたくさんいるのです。
そういう意味で、ほかの審査員の印象も薄く、決勝大会では、清水由貴子が一番有力視されていました。
ところが、そんな二人に注目していたのが、ビクターレコードとT&Cミュージックの相馬マネージャーでした。
数ヶ月かすぎた四月のこと、T&Cミュージック相馬氏から連絡をうけました。
あの根本美鶴代、増田啓子に『レッスンをお願いしたいんです』というのです。
阿久悠先生の作詞、都倉俊一先生の作曲で、ぼくに”振り”をつけて欲しいというのでした。
ぼくは正直なところ、あの「スター誕生」の二人を思い出して〈少し弱いな〉と思ったのです。
ビクターレコードとT&Cミュージックでは「ふたりをキャンディーズ のイメージで送り出したい」というのです。
〈キャンディーズは、もっと可愛いじゃないの。ふたりには、その甘ったるさがない。むしろ、ワイルドで野暮ったい。
彼女たちの魅力は、あの大地をガッチリと踏みしめている太い腿にあるのじゃないかい。
野育ちの土の匂いがぷんぷん、図太くって、したたかで、それでいて愛くるしい、その彼女たちの腿の表情を前面に押し出すべきじゃないか〉と。
彼女たちの運動神経は、案外発達していました。
ただ、ケイの方は、 ずっと以前に脊髄を痛め、心もち猫背だったのです。
それを矯正しながら基礎をつける柔軟体操を、週二回(一回一時間半)、四ヶ月も続けました。
ぼくの踊りの基本は、腰と膝にあるのです。
それは並大抵のレッスンではありませんでしたが、二人はその”しごき”に決して涙を見せませんでした。
基礎が身についたところで、こんどは、ぼくは彼女たちの振り付けのテーマとして〈主張の強い、パワーのあるもの〉ということで、手と腿に表情をつける特訓を重ねました。
そのころ、ふたりの名前がやっと決まりました。
都倉俊一先生のアイディアで「ピンク・レディー」に決まったのです。
デビュー曲も、阿久悠先生の詞で「ペッパー警部」と決定、すでに八月二十五日デビュー、九月にテレビ出演が決定していたのです。
ここで初めて、ピンク・レディーとしての踊りと振りをつけることになったのです。
常識からはみ出した、こちらの主張を視聴者や、観客に訴えることが出来るもの。
それは「ペッパー警部」のセールス・ポイントでもあったわけです。
ぼくの頭の中は猛スピードで回転しはじめました。
そして、マイクをピストルに見せること、ふたりの腿を左右に開かせ、手を交叉させる”振り”が生まれたのです。
これまでの常識を突き破った、この”振り”は当然なことに、賛否両論がありました。
しかし、飯田久彦ディレクターなど、若い人たちの賛同をえて、ピンク・レディーのあのアクションが成功をみたのです。
いまは、その特訓に耐えぬいた、ミーとケイにぼくは感謝しているのです。
そして、そんな苦労の末に生まれたピンク・レディーは、いまや、ラスベガスでショーを成功させ、世界のエンターテイナーとして大きくはばたきはじめました。
それは、汗と涙と努力のたまものであり、一つの青春の讃歌といってよいと思うのです。
ファンのみなさん、どうか彼女たちを、そういう愛情をもった目で見 守って欲しいと思います。

79年春発売の振り付け集より

 

No.002


振付とは?
肉体を通じて躍進と心情をリズムとメロラインとハーモニーに託した美学。
そして、ダンスは肉体的訓練と精神の努力によって生まれる美しい夢である。

 

 

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